適応障害を克服した後*精神病者との離婚で分かったこと
適応障害になったことで仕事量が減り、プライベートな時間が出来たことで、心にも余裕が出てきました。
休日に疎遠になっていた友人や知人、担当医に話を聞いてもらったことで、自分ばかり責めなくていいんだなと思えるようになりました。
3ヶ月位経った頃、出勤する電車の中で、
「あっ、私もう大丈夫かもしれない」
と思ったんです。
それまでは電車の中で周りを見る余裕もなくて、
気分が悪くなったらどうしようとか、今日も一日無事に終わりますようにという不安ばかりが頭の中でグルグルしてました。
けれど周りを見る余裕が出て、視野が広がったんですね。
まだ少し不安はあったのですが、店頭でももう大丈夫と自己暗示を掛け、勇気を持って行動していきました。
すると徐々に食欲も戻り、他のめまいなどの症状も治っていったんです。
約3ヶ月間、自分の代わりに仕事量が増えてしまったのに、優しく接してくれた店舗スタッフに感謝の気持ちで一杯になりました。
恩返しをするつもりで、これからは気を遣い過ぎず、我慢せず言いたいことを言って、皆んなを信じて仕事を任せていこうと思いました。
適応障害なってからの私*精神病者との離婚で分かったこと
適応障害と診断された私は、すごくショックを受けたのと同時に、職場に迷惑が掛かると思い悩みました。
心療内科の先生から、休職するかどうするか聞かれました。
立場上それは出来ないし、1度休職するともう戻れなくなると思い、休職はしたくないと告げました。
診断書をもらい、まずは上司に相談するよう言われました。
病院に付き添ってくれた元旦那にその旨を伝えると、黙って話を聞いていました。
本当は温かい言葉が欲しかったし、抱き締めて欲しかったけど、うつ病の元旦那の気持ちを考えると素直に甘えることが出来ませんでした。
そして翌朝、入社時からお世話になっていた上司に電話をし、適応障害になった旨を伝えたんです。
すると、何とその上司も昔適応障害になった事があるとのこと。
そこから何を話したか覚えていません…。仕事量と勤務時間を減らしてもらい、病院へ通いながら毎日休まず出勤しました。
けれど逆に皆んなに迷惑を掛けてしまったことや、今までやっていた店頭での作業や書類などの業務から外されたことがとても情けなく、逆に出勤する事が辛くなっていきました。
ただ他のスタッフが皆んな優しく、気を遣わないように普通に接してくれていたので、そこが唯一の救いでした。
ソラナックスという不安を柔らげる薬を処方され、日々何とか出勤するのが精一杯でした。
ただ休日は普通にいつも通り過ごせていたので、1人でいると治らないと思い、友人や知人となるべく会い、話を聞いてもらっていました。
そのうち、心に少しずつ余裕が出て来たんです。
それまで1人で0時まで残業する事も多く、何の為に働いているのか見失ったり、ずっと1人だと思っていましたが、そうじゃなかったんだなと思い、周りに感謝出来るようになっていきました。
3ヶ月経った位から、薬を減らす事が出来て、店頭でも笑えるようになっていったんです。
ついに私まで…*精神病者との離婚で分かったこと
そんなストレスフルな環境の中、私の職場で事件が。
私は休日で家でゆっくりしていたら店長から電話が入りました。
「Oさんが従業員入口で泡吹いて倒れて、さっき緊急搬送された!」
とのこと。
どうやらパニック症のようでした。
前日、23時頃まで他スタッフ数名と共にセール準備をして、Oさんと一緒に駅まで帰った私はかなり驚きました。
Oさんは不安定な所はありましたが、いつも明るく元気。愚痴を言い合ったりする仲でした。
最近遅くまで残業続きで疲れているようでしたが、あと少しでセールも終わるから、一緒に頑張ろうと話していたところでした。
そして次の日、エリアマネージャーに店長と共に呼ばれ話し合いに。
そこで私はエリアマネージャーに、
「1番近くに居たのに何で気付かなかったんだ。」
と叱責されました。
言われるまでもなく、
何で気付いてあげれなかったんだろう。
もっと話を聞いてあげれなかったんだろう。
と自問自答していたので、直接言われた事でかなりダメージを受け自分を責め始めてしまいました。
もう私自身、かなりのストレスで肉体的にも精神的にも限界を感じており、何の為に働いているのか分からなくなっていました。
そして身体に異変が。
店頭に立っている時にふと気付いたら涙が出ていたんです…。
それから食欲も無くなり、体重が落ちていきました。
ある休日、元旦那と会った途端に涙が止まらなくなり、全部吐き出しました。
元旦那は心配してくれ、一緒に心療内科に付き添ってくれました。
当時は勝手に怖い病院のイメージを持っていましたが、病院内は明るく、よくある内科と変わりありませんでした。患者さんも大人しい方ばかりで安心しました。
そして先生の部屋に呼ばれ、椅子に座り、優しそうな先生の顔を見た途端に涙が止まらなくなりました。
先生は私が話し始めるのを待ってくれ、そこからは心に溜めていたことを一気に話したので、何を話したか覚えていません。
先生はただ優しく話を聞いてくれ、症状としてはキャパオーバーの状態になっているねと話してくれました。
診断は適応障害でした。
私の身の回りに起こったこと*精神病者との離婚で分かったこと
私はその頃、アパレル販売としてショッピングモールで副店長として働いていました。
業界では割と大手の会社で、且つ全国でも数店舗しかない強化店舗だったんです。
日々売上を取らないといけないプレッシャーと、毎日セール並みに山の様に商品が届きそれをレイアウト、商品整理やらスタッフ育成、店長代理の資料作成やら何やらで毎日0時に帰宅するのが当たり前でした。
しかもサービス残業です。
そして店舗スタッフは短時間アルバイトばかりだったのですが、その中に元々うつ病を持っているMさんが居たんですね。
また社員のOさんも元々家庭環境が悪く闇を抱えており、なかなかKYなタイプだったので手を焼いていました。
私は元旦那の事もあったので、Mさんのことを良く気に掛けており、仕事が終わった後もメールで話を聞いてあげていました。
精神的にも肉体的にもかなり参っていた中、Mさんから「死にたい」とたまにメールが届くように。
私は真に受けて必死でフォローし、何とか持ち越すといった日々が続いていました。
店長はとても大雑把な人で、私がフォローする事も多い中、自分の仕事をこなしていかないといけない状況。
余裕がなくミスもするし、色々な事が上手く回っていませんでした。店長に相談しても上手く言いくるめられ、叱責され、ストレスフル。
今思えば、言いたいことを我慢せずに、もっと他のスタッフを使えば良かったのかもしれません。
それに出来ないと素直に言えば良かったと思います。
自分のキャパを超える仕事量を無理やりこなしていけていたので、周りからは出来て当たり前だと思われていたのかも。
そんな中事件は起きました…。
うつ病になった元旦那の変化④精神病者との離婚で分かったこと
私も付き添うから、一緒に病院へ行ってカウンセリングを受けようと何度か話しましたが、本当に嫌なようで断固拒否されていました。
プライドが高く、自分で何とかするから大丈夫と言われ、私もそれ以上は踏み込めませんでした。
また家族に対してや、前の職場に対しての愚痴や悪口はよく言ってましたが、私に対しての不満や文句などは全くなく、いつも優しかったのを覚えています。
この時はまだ分かったのですが、そういった家族に対する態度というのは、結婚すると私に対して向けられるようになったんですね…。
それでも元旦那は一進一退を繰り返しながら、薬も自分に合ったものを見つけ、かなり回復していました。
職も探し、面接はほぼ100%受かるのですが、半年もしないうちに辞めるという繰り返しが何度も続きました。
元旦那から聞くと、職場環境や人間関係が劣悪とのこと。頭を使う事が苦手で、肉体労働しか出来ないというので、そういった環境の職場が多いのだと言っていました。
私はまだ精神的に不安定な部分があって、上手くやっていけないのかなと感じていましたが、私と一緒にいる時はとても明るくなっていて、行動力もあったので、真相は分からず。
とにかく、大丈夫大丈夫と背中を押してあげたり、見守ることしか出来ませんでした。
うつ病になった元旦那の変化③精神病者との離婚で分かったこと
私は自分の両親に相談しようか悩みました。しかしとても真面目なので、きっとすぐに別れるように促されると思い込んだんですね。
元々、昔から自分の事を両親に相談したり話すのが苦手で、これまでも問題は自分1人で解決してきたので、なかなか言えませんでした。
また話すにしてもまだ早いかなと思い、まずは元旦那の母親に、彼の状況や心情を伝えることに。
ただ元旦那の家に行った際に挨拶をする程度の仲。仕事も忙しいと聞いていたので、まずは手紙に元旦那の想いや状況、優しく接してあげてほしいといった旨の内容を書きました。
刺激して逆効果にならないように、何度も書き直しました。
手紙には何かあった時の為に、私の携帯番号とメールアドレスも書いておきました。
そして後日、元旦那には知られないように直接手渡すことに。
渡した時に弟も一緒にいたのですが、2人とも私には優しく、同情するような表情をしていたのを覚えています。
私は2人に怒りを覚えてましたが、顔には出さず、元旦那には伝えないようにとお願いをし、手紙を渡すとすぐに帰りました。
その後1度も元旦那の母親から電話やメールが来ることはありませんでした。
この時の私の行動が元旦那を苦しめていたと、数年後に分かったんです…。
うつ病になった元旦那の変化②
傷病手当金が終わり、元旦那はまだ体調は良くない様子でしたが、この頃から病院でのカウンセリングを受けなくなりました。
私は心配になって行くように促しましたが、話したところで何も解決しないと言い、薬だけ貰いに行っている様子でした。
当時、元旦那は実家で母親と弟と3人暮らしでした。この頃から家族の悪口をよくメールで送ってくるように。
無職になったことで家にお金を入れれず、家にこもっている事を家族から毎日責められているようでした。
ある平日休みの朝、元旦那からメールが。
「もう死にたい。家族に殺される。」
私は驚いて電話しましたが繋がらず、すぐに元旦那の実家へ行きました。
この時の気持ちは何年も経った今でも忘れる事が出来ません。
すごく苦しくて、本当に死んだらどうしようとか、何でこんなに苦しめるんだろうと、向かうバスの中で涙が止まりませんでした。
家に着くと、元旦那はソファに座っていたのですが、見たことのない顔をしてガタガタと震えていました。
目が遠く顔は白くなっていて、本当に別人の様で。
あんなに明るかった元旦那を何故こんなになるまで追い詰めるのかと、彼の家族を憎みました。
私は泣きながら元旦那を抱きしめて、
「大丈夫だから。私は味方だから、1人じゃないから。死んだりしないで」
と言ったのを覚えています。
何時間もそうして側にいて、元旦那も少し落ち着き寝かしつけました。
元旦那が言うには、母親も弟もうつ病について知ろうともせず、辛くて布団から出れなかったりするのを、怠けているとか、薬を飲んで何故治らないんだとか罵声を浴びせてくるそう。
私はどうしたら良いか悩み、自宅に帰る途中、市がやっている無料カウンセリングダイヤルに電話をしました。
中年女性が優しく話を聞いて下さいましたが、それだけでした。
私は話を聞いてほしい訳ではなくて、対処方法や解決策の鍵になるものが欲しかったのでとてもガッカリしました。
今思えば、第三者からの短絡的なアドバイスで事態が悪化する事もあるし、本人の問題だからそこに解決策を求めるのが間違いだったんですよね。